スンダランド

スンダランド

「スンダランドと想定されている範囲は、現在ではタイランド湾から南シナ海へかけての海底に没しており、マレー半島東岸からインドシナ半島に接する大陸棚がそれに当たる。氷期に、海面が100メートル程度低くなり広大な平野であった。最近では、紀元前70000年頃から紀元前14000年頃にかけてのヴュルム氷期には陸地であった。紀元前12000年頃から紀元前4000年にかけて約8000年間にわたる海面上昇により海底に没した。オセアニアにもオーストラリアとニューギニアの間に海面下にしずんだ平野がありサフルランドと呼ばれている。」Wikipediaより。

ハプログループR11'Bは、ヨーロッパの白人の母系などと祖を同じくする「N」型から分岐した系統である。ハプログループBは、約4~5万年前にアジアで分岐し、東南アジアやポリネシアなどといった南方に広まった代表的なグループである。

縄文時代には既にこのB系統が日本列島にいたことが縄文人骨の解析などから明らかとなっており、現在では、特に東京と宮崎で多く検出される。日本人に占める割合はB4₍9.1%₎、B5₍4.3%₎である。

日本書紀とか古事記に記載されている”天皇”の年齢は異常に長い。所謂2倍年歴で歴を刻んでいた事が解る。この2倍年歴を採用していたのは赤道直下の国々で有る。この民族は、雨季と乾季で年に2回年をとったのだ。高床式住居も、東南アジアに独特の建築である。どうやら日本の南九州から西日本に定着し、稲作をもたらした民族は東南アジア・スンダランドに出自を持つ南方民族であった可能性が高い。

鹿児島では1万2千年前のプラントオパールが出土している。日本列島では1万2千年前から稲作がされていたのだ。中国の長江文明よりもずっと古い時代の出来事である。スンダランド,マレー系の民族が住んでいた地域からの伝来だと思われる。1万2千年前といえば縄文時代早期に当たる。日本列島で軒並み土器が製作されるようになった時期である。

人間が土器を創り、それを使う時、当然煮炊きするのだ。それが動物の肉や、魚類、根菜のみであったとは考えられない。現在の主食たる米や雑穀も収穫され、煮炊きされたと見るのが合理的である。約3万年前の鹿児島姶良カルデラ噴火で、それまで西日本に居た先住民族は滅亡か移動を余儀なくされた筈であるから、スンダランド,マレーの東南アジア系の人々は噴火による気候変動の後に鹿児島に移り住んだのだろう。

1万2千年もの大昔から日本人は稲作をしていたし、稲作は弥生時代に起源を持たない。以下は仮説に過ぎないが、日本列島で土器が作られるようになった縄文時代、あるいは石器時代の終わりごろには稲作とは言えないまでも雑穀を植えて収穫していたと考える事が出来る。土器は一体、何を煮炊きする為に作られたのかと考えると、こうした帰結にならざるを得ない。岡山県灘崎町にある彦崎貝塚の縄文時代前期₍約6000年前₎の地層からは、イネのプラントオパール₍イネ科植物の葉などの細胞成分₎が大量に見つかったと言う。縄文人が煮炊きしていたのは、何も貝だけでは無かったのである。

キビ族のプラント・オパールは鹿児島県と島根県の旧石器時代遺跡の1万年以上前の層からも検出されていると言う。これまでは「弥生人が稲作をもたらし、弥生時代から集落や王権が出来た。」と言うのが定説であったが、日本列島の多くの出土物は、その定説を覆しているのである。

昔には、日本人の祖先は中国だの朝鮮だのモンゴルだのと言われてきたが、最近の遺伝子解析によると、日本への一番古い渡来者はハプログループC1a1だと解って来た。C1a1は後期旧石器時代から新石器時代のヨーロッパ₍クロマニョン人₎人や他の少数の現代ヨーロッパ人、ベルベル人、アルメニア人、ネパール人にわずかに見られるC1a2と姉妹系統で有ると言う。現代日本人男性の約20人に1人₍5%₎がこのC1a1系統であると言われ、C1a1の祖型はイラン付近が発祥地で有ると言う。しかも、C1a1は日本列島以外には検出されないと言うのだ。

ハプログループC1a1の渡来は遅くとも4万年以上は前だと言われ、日本人以外には観察されない。これぞ日本人のAncestor of Ancestor!ではないだろうか。和田家文書は日本人の祖先は古代シュメールであると何度も何度も執拗に力説している。

和田家文書「北斗抄」「丑寅日本国神」「文政2年8月10日」「浅利元清」の文章には驚愕の論証が有る。

 「古来吾が丑寅日本國神の発祥の地は西山靼₍さんたん₎のシユメイル國なり」

和田家文書では繰り返しバイカル湖₍古くはブルハン湖₎に起こった民が祖先であることが述べられている。「西山靼」は、シベリア中央部、バイカル湖の事なのである。和田家文書は、「西山靼」、つまりシベリア中央部のバイカル湖周辺の土地が古代シュメールの淵源であり、それと同時に我が国の祖先の、神の、発祥の地だと繰り返し言っているのである。

関西学院大学のヴィダー・ダヴィド助教授は、古代ゲルマン民族は中央アジアから西遷し、ヨーロッパに至った。その故地₍出発地₎は、シベリアのバイカル湖付近だと言っている。となると、ドイツゲルマン民族と日本民族の祖先は同一であると言う事になる。

長野県上水内郡信濃町の野尻湖遺跡は、湖底から見つかり、堆積層を上部・中部・下部に分けると約50,000年前から3,3000年前までに形成されたと考えられている。旧石器時代の遺跡である。ナウマンゾウの化石と共に出土した旧石器は、シベリアの旧石器と同一系列のものであった。

縄文時代中期の八王子の日南田遺跡からはビールジョッキ型の土器が出土している。4500年前のものだと言う。古代ゲルマン民族と、日本人の祖先は同族であったと考えられ、縄文遺跡からビールジョッキが出土しても、何ら驚くに値しないのである。

ハプログループD1a2も日本列島に固有なグループである。ハプログループC1a1の渡来の後に日本列島に定住したと見られる。約5万年前に中央アジアにいた集団だと考えられている。D系統はチベットに多く分布しているから、故地はチベットの辺りだろうと考えられる。日本人の35%はこのグループに属すと言う。

Wikipediaは「ネアンデルタール人はY-C次いでY-D系統に属しており、現存する人種では日本人が一番ネアンデルタール人に近いことになる。つまり、多くの人種がユーラシア大陸の果てにある日本に最終的に到達し、またそれらが完全に淘汰されず₍殺害されずに₎に混血して残っているという特徴がある。」と記述しており、どうやら我々日本人はネアンデルタール人、クロマニョン人の血統も受け継ぐ古い民族である。日本列島は古代民族の血統の最終到達点であるらしい。

以上の事からも、日本の歴史学会は、相次ぐ出土事実に照らして、また、最新のDNA解析と照らして、稲作発祥の時期や日本人の現像に付いて、大幅な見直しをしなければならない時期に来ている。出土事実、海外文書との照合から、日本列島に大和朝廷などと言うものは一切存在し無かったという事が明白となって居る。現在の歴史発掘の到達点に合わせて、大規模な見直しと修正が必要になっていると思う。