下関市彦島八幡宮のペテログラフ

下関市彦島八幡宮のペテログラフ

◆彦島杉田遺跡
 関門海峡の「武蔵・小次郎の決闘の場」として有名な巌流島を真下に見下ろす形でこんもりとした丘陵、それが、杉田丘陵である。 その頂上に1メートル角大の岩が数個あり、最も大きい平たい岩に不思議な絵とも文様ともつかぬものが見つかったのは、大正13年(1,942年)の事であった。
「恐れの杜」(おそれのもり)、「祟り岩」(たたりいわ)と呼ばれたり、「こっそりと願い事をすると叶えられる岩」として地元では、よく知られていた。
 杉田丘陵は、関門海峡を見渡し、反対側の響灘の一部も見渡せる場所であるため、古来、戦略上の重要拠点であった。

◆杉田遺跡は、「彦島神殿」か?
 この遺跡の岩から、合計三十個のペトログラフが検出され、それらの文字は、セム語系(シュメール、バビロニア文字)北方ツングスのエニセイ文字系のものが入り混じったものである事が指摘された。 その多くの文字は、紀元前2千年から紀元300年頃までの幅広い年代のもので、発掘品がないために、絶対年代の特定は出来ない。
 しかし、「古代のいつの時代か、シュメール文字を知っていた集団が何らかの形で彦島に上陸し、祭祀(さいし)をした神殿ではないか。」と推定する学者もいる。

杉田丘陵した海岸神殿のものと見られるこれら7個の岩は「日の神や大地の女神、大気の神、天なる父神などに、豊穣をもたらす雨を、男女神にかけて、日の王(日子王=古代彦島の王)が祈り奉った」と解釈できる。
「泳ぐ岩」1個ならまだしも、多くのペトログラフが三菱下関造船所前から見つかり、造船所構内からも出土しているところからも、古代には、杉田丘陵頂上の彦島神殿の他に、これを遥拝する形での「彦島第二神殿」とでも言うべきものが、現在の三菱造船所前小公園あたりの海岸部にあった事が推定できるのである。

https://www.hikoshima-guu.net/petoro.html

太古の時代に古代シュメールからこの地に到着した事、さらに、この地で神殿を築いた古代シュメール王朝が存在した事は確実だろう。Wikipediaによれば、シュメール人は自らを「ウンサンギガ」と呼び、意味は「黒頭の民」と言う事である。さらに、民族系統は未だに謎であるとされているらしい。シュメール人は広範に征服民か移住民であると信じられていると言う。古代シュメールは元々流浪の民であった可能性がある。創世記では洪水後シナル(シュメール地方)に住み着いたのは「東からやってきた人々」とされており、言語的また容貌的観点からモンゴロイドである可能性もあると言う。日本書紀、応神紀に穴門の王「伊都都比古」の記載があるから、この古代シュメールを人祖とする王朝が、この地に継続的に存在したのだと考えられる。日本書紀応神紀についてはサイト内別項で詳しく述べる。