古代王朝

古代王朝
「時に丑寅日本国にては荒覇吐王居武蔵大宮に在りて、此の域を安東と称し、宗帝よりの賜号とせり。坂東に位せる安東将軍は五代に相継ぎて、讃美彦、珍美糠彦、斉糠彦、興美彦、武波日彦と曰ふ。」
 
「丑寅日本紀」第八“倭国天皇記国記之事”より。
 
大宮一宮氷川神社は約2400年前からの歴史があると言われている。「大宮」は荒覇吐王朝の王都であった故事から来た地名である。荒覇吐神社は、荒脛社とも記載される。荒覇吐神は、門客人社とも門客人明神社とも言われ、熊川神社末社稲荷神社はかって荒覇吐神社で有ったとも言われている。武蔵一宮大宮氷川神社の周囲には数多くの氷川神社があるが、そもそも氷川神社は荒覇吐神社であったらしい。
 
荒脛巾・荒吐・荒覇吐・阿羅波比・阿良波々岐など表記は様々だが、東北地方をはじめ、この神を祀る神社は全国にあると言う。あの伊勢神宮でさえ、客人神(まろうどがみ)として祀っていると言う。
 
古代埼玉は荒覇吐王朝の為政下にあったのである。