時間軸

時間軸

・400~500万年前

アフリカ熱帯域に原人出現

・100万年前

原人がアフリカ大陸を出てユーラシア大陸に広がる。最初は熱帯地方に住み着きジャワ原人となる。その後、徐々に様々な環境への適応能力を身に着け熱帯域を出て北京原人となる。

・50~60万年前

北京原人が北緯40°の北京・周口店に到達。日本列島にも到達していた可能性がある。日本列島最古の石器は島根県出雲市の砂原遺跡である。約12万5千年前の地層から出土した。中期旧石器時代の遺跡である。日本列島でも50万年前には原人が住んでいたと考えられ、近い将来には日本列島でも前期旧石器が発見される可能性も無いとは言えない。

・4~5万年前

モンゴロイドの祖先は北緯50°を超えた。4.8万年前~3.3万年前の遺跡とされる野尻湖遺跡からはナウマンゾウの化石と共に石器や骨製ナイフ、骨製ナタが発掘されている。後期旧石器時代の3万5千年前には秋田県の米ヶ森遺跡、群馬県の岩宿遺跡、埼玉県の清河寺前原遺跡、東京都の鈴木遺跡、武蔵台遺跡、広島県の冠遺跡、島根県の原田遺跡、沖縄県のサキタリ洞遺跡がある。ハプログループC1a1₍M8₎は日本列島固有のハプログループであり、現代人の約5%に残る遺伝系統だと言う。C1a1の祖型はイラン付近が発祥地だと推定されている。その後アルタイ山脈付近を経由し日本列島に渡来したと考えられている。Wikipediaには「現存系統の拡散開始は約12,000年前であり、縄文時代の開始とほぼ一致している。すなわちハプログループC1a1は日本に縄文文化をもたらした集団かもしれない。」と書かれている。最古の渡来者はイランに起源をもつハプログループC1a1であると言う事は、彦島ペテログラフetcが日本列島内に点在する事実からも疑い得ない。日本人の32%~39%を占めると言われるハプログループD1a2(D-M55)は日本列島で誕生してから3.8-3.7万年ほど経過していると考えられているが、その祖型のD1a系統もイラン付近が発祥地だと推定されている。同じくWikipediaの記事には「アリゾナ大学のマイケル・F・ハマーは『縄文人の祖先は約5万年前には中央アジアにいた集団であり、彼らが東進を続けた結果、約3万年前に北方オホーツクルートで北海道に到着し、日本列島でD1a2が誕生した』とする説を唱えた」とある。古代の日本について記述された和田家文書に見られる阿曾辺族とは、ハプログループC1a1₍M8₎とハプログループC1a1₍M8₎であろうと考えられる。

・2万5千年前

モンゴロイドは北緯60°を超えた。極北のシベリアで拡散してゆく。モンゴロイドの一部は氷河期に陸地化したベーリング海峡を越えてアメリカ大陸にも渡った。インディアンやエスキモー₍イヌイット₎、アリュートの人々である。マンモスや鹿や熊を追って日本列島にも渡って来た。和田家文書では初めに阿曾辺族が列島に渡来し、その次に津保毛族が渡来したと記述している。津保毛族は元々は阿曾辺族と同種ながらも、一旦は日本列島を超えてアメリカ大陸に渡り、その後引き返して日本列島に定住したのだと言う。阿曾辺族、津保毛族ともに沿海州ツングース系の人々である。

・2万年前

バイカル湖の西側に位置するアフォントヴァ遺跡から出土した2万年前の化石からは北方モンゴロイドの特徴が見られると言う。モンゴロイドが南方モンゴロイドから北方モンゴロイドへ、いつ頃から変化したのかは解って居ない。北方モンゴロイドの南方への拡散時期についても、詳しくは解って居ないと言う。Wikipediaによると、古代シュメール人の民族系統は謎とされているが、シュメール人は自らを「ウンサンギガ」₍黒頭の民₎と呼び、創世記では洪水後シナル₍シュメール地方₎に住み着いたのは「東からやってきた人々」とされており、言語的また容貌的観点からモンゴロイドである可能性もあると言う。同じくWikipediaでシュメール人は広範に征服民か移住民であると信じられているが、シュメール人の地理的な起源がどこなのか、移住がいつ行われたのか、などの謎が多いとされている。だが、和田家文書を読むと、以外にその答えは明瞭となる。古代シュメール人の地理的な起源はバイカル湖である。シュメール人はユーラシア大陸の中心部に位置するバイカル湖を起点にチグリス・ユーフラティス河流域に住み着いたり、日本列島に住み着いたりしたのだ。

・6500年前

中国東北部の遼河流域で起こった文明を遼河文明と言う。遼河文明遺跡から発掘された6500年前から3600年前にかけての古人骨のハプログループはN1₍60%以上の高頻度₎で、ウラル系民族であったと言う。青森県ではN1が7.7%(26人中2人)観察された例があるため、遼河文明と三内丸山遺跡の関連が考えられると言う。C1系とN1はコーカソイドを含むので、和田家文書の「紅毛人」の渡来も事実であろうと思われる。

・紀元前2800年

ハプログループO1b2は28,500年前に中国大陸で誕生したと言われ、現在の日本人の30%がこのグループだと言う。紀元前2800年頃に沿海州南西部に居たこのグループが日本列島に稲作を持って渡来したと言う。これは縄文晩期の刻目突帯文土器と酷似した土器群が沿海州南西部で数多く出土することから推定されている。

・縄文時代・弥生時代

縄文時代、弥生時代、と言っても、何を根拠に時代の裂け目とするのかがはっきりとしていない。ともに集落があったし、稲作もあったし、どうやら王朝もあった。古代遺跡の相次ぐ発掘により、所謂縄文時代にも水田があり、集落があり、王朝めいたものも存在していた事が徐々に明らかとなって来た為だろう。日本列島の歴史は物凄く古く、単純な時代区分では推し量れなくなって来ている。日本列島の古代の姿は、各ハプログループの渡来年度毎に輪切りにしなければはっきりと見えない時期に来ている。古代の霧は思ったよりも深いのである。

縄文時代の王朝と言えば古代出雲王朝が名高いが、それ以前にもハプログループC1a1₍M8₎の阿曾辺族、津保毛族の渡来が有った。人間集団がそのリーダーと共に渡来して来て居るのだから、当然、そこには集落が出来、王権も確立した筈である。亀ヶ岡文化のように、土器偶像による祭祀圏も存在していたと考えられるのだ。

亀ヶ岡文化は今から約3000年ほど前に始まり、紀元前3-4世紀に終末を迎えている。