太古の日本歴史
始まりは旧石器時代
日本列島には後期旧石器時代から人々の歴史が刻まれている。
35,000年前からの遺跡としては
秋田県の米ヶ森遺跡、群馬県の岩宿遺跡、東京都の武蔵台遺跡、広島県の冠遺跡、島根県の原田遺跡、沖縄県のサキタリ洞遺跡がある。
日本の縄文時代は北から始まったと見えて、日本最古の縄文遺跡は、縄文時代草創期初頭(紀元前13,000年頃)の大平山元遺跡₍青森県外ヶ浜町₎である。縄文時代早期の遺跡も同じく青森県八戸市の長七谷地貝塚遺跡である。
和田家文書『北鑑』第廿巻に
「安日彦大王、長髄彦王の以前に丑寅日本国のオテナ及びエカシの王国ありき古事を知るべきなり。氷渡りの民アソベ族、山靼より人祖とて渡り来たるはその
最初の渡来者
日本列島の最初の渡来者と日本列島の始まり
日本列島の最初の渡来者は原人である。出雲市の砂原遺跡から、11万~12万年前の石器が発掘されている。遠野市で発掘された8-9万年前の金取遺跡からも石器が出土しているが、これらは現生人類とは別の原人のものであろうと目されている。
和田家文書では日本列島の最初の渡来者はバイカル湖周辺に居た阿曽辺族という。最も寒冷となった2万年前にバイカル湖周辺の人々が山靼を出て、動物を追って東に移動し、一部は沿海州から樺太、北海道へと渡った。これが阿蘇部族だ。
次に渡来したのが津保化族で、最も寒冷となった2万年前にバイカル湖周辺の人々が動物を追って東に移動し、一部はアラス
出雲の版図
亀ヶ岡式文化は、今から約3000年ほど前に始まり、紀元前3-4世紀に終末を迎えた。
あの印象的な遮光器土偶が列島各地に広がって分布していたのだ。東北から北海道南部、関東・中部地方、更に近畿地方まで広がりがある。
和田家文書ではこの土偶を荒覇吐神の似姿だとしている。紀元前3-4世紀迄列島を席巻していたこの祭祀土器は土器文明の華だろう。時代は次第に土器の時代から青銅器の時代へ移り変わって行った。その中で遮光器土偶に代わって作られるようになったのが銅鐸であったと思われる。
「丑寅日本史総解」“荒覇吐要源抄”
「日本国之国、坂東より丑寅を曰ふ。
人跡十万年乃至十五万年の古歴に在りて、古来よりアラハバ